1919年1月15日、アメリカ・ボストンで巨大な貯蔵タンクが破裂した。街へ流れ出したのは、水でも石油でもない。砂糖の製造などで生じる、黒くて甘い液体「糖蜜(とうみつ)」だった。
約870万リットルの糖蜜が道路に押し寄せ、建物を破壊し、人々を巻き込んだ。死者21人、負傷者約150人。食べ物に使われる液体が、なぜこれほどの犠牲を生んだのだろうか。
事故現場の全景。壊れたタンクや建物の残骸が見える。出典:Boston Public Library / Wikimedia Commons(米国パブリックドメイン)
ボストン糖蜜洪水とは?約870万リットルが街を襲った
事故が起きたのは、ボストンのノースエンド地区。港に近いコマーシャル・ストリート沿いには、糖蜜を貯蔵する巨大タンクがあった。高さ約15メートル、直径約27メートル。糖蜜は工業用アルコールの製造に使われていた。

破裂前の糖蜜貯蔵タンク。出典:The Bostonian Society / Wikimedia Commons(米国パブリックドメイン。日本での権利関係は公開前に別途確認)
1919年1月15日の昼すぎ、タンクが突然壊れ、貯蔵されていた約230万米ガロン(約870万リットル)の糖蜜が流出した。流れ出した糖蜜の波は、初期に推定時速約56キロメートルに達したとされる。
被害は道路だけにとどまらなかった。周囲の建物や高架鉄道の設備まで損傷し、逃げ遅れた労働者、住民、子供たちが巻き込まれた。
なぜ糖蜜で21人も死亡したのか?

重い液体が自動車並みの速度で突進した
糖蜜は水より密度が高く、同じ体積なら水より重い。約870万リットルもの液体がタンクの破裂によって一気に解放されれば、流れの先にあるものへ巨大な力が加わる。
推定時速約56キロメートルという初期の勢いで襲ってきた糖蜜は、人を転倒させ、建物を押し壊し、木材や金属片まで巻き込んだ。糖蜜の直撃や倒壊物によって命を落とした犠牲者もいた。単なる「甘い液体の水たまり」ではなく、強烈な破壊力を持つ洪水だったのだ。

糖蜜洪水後の高架鉄道周辺。出典:Boston Elevated Railway Company / City of Boston Archives / Wikimedia Commons(米国パブリックドメイン)
粘り気が強く、脱出が困難になった
糖蜜には、水とは大きく異なる性質がある。強い粘り気だ。体が糖蜜に沈むと、腕や脚を動かすだけでも抵抗を受ける。転倒した人が起き上がるのは容易ではなかった。
糖蜜の粘度は温度にも左右され、冷えると高くなる。1月のボストンでは、流出した糖蜜が冷えるにつれて動きにくくなり、脱出と救助をさらに難しくしたとする流体力学的な分析もある。
口や鼻を塞がれて窒息した
糖蜜の中に顔が沈めば、呼吸ができなくなる。しかも強い粘り気が、顔を上げたり液体を払いのけたりする動作を妨げる。溺死や窒息の危険と、流れに押し倒される危険が重なっていた。
ただし21人全員が糖蜜の中で窒息したわけではない。建物の倒壊や流れの衝撃で致命傷を負った人もおり、犠牲の原因は一つではなかった。
10歳の子供も犠牲に。救助隊も足を取られた
亡くなった21人には、10歳のパスクアーレ・イアントスカと、同じく10歳のマリア・ディスタシオが含まれている。事故現場近くの消防署も破壊され、消防士ジョージ・レイヒーも死亡した。
現場には警察、消防関係者、赤十字、近くにいた海軍の隊員らが駆けつけた。しかし、糖蜜が足元にまとわりつき、瓦礫も散乱していたため、救助は難航した。被害者を探す作業と現場の清掃は長期間続いた。
事故前から糖蜜が漏れていた!なぜ破裂を防げなかったのか
このタンクには建設当初から問題があった。継ぎ目やリベットの周辺から糖蜜が漏れ、近所の子供たちが漏れた糖蜜を容器に集めたという証言もある。
それにもかかわらず、本格的な補強は行われなかった。漏れが目立たないよう、タンクを茶色く塗装したという記録まで残っている。
事故の数日前には船から大量の糖蜜が補充された。大量の液体による圧力を受けたタンクは、1月15日についに破裂した。
会社は爆破説を主張。裁判で明らかになった責任
管理会社側は、事故が無政府主義者による爆破工作だったと主張した。しかし、長期にわたる調査と訴訟では、タンクの設計・施工と安全管理の欠陥が問題とされた。
構造に使われた鋼板は十分な厚さを備えておらず、適切な強度確認も行われていなかった。調査担当者のヒュー・オグデンは1925年、企業側に責任があるとする報告をまとめた。企業側が支払った賠償金は約62万8,000ドルに上った。

1919年当時の新聞報道。見出しには当初確認された「12人死亡」と記されているが、最終的な死者数は21人となった。出典:The New York Times / Wikimedia Commons(米国パブリックドメイン)
ボストン糖蜜洪水が残した教訓
この事故は、工業設備の設計や施工に対して、専門家による検査と企業の責任を明確にすることの重要性を示した。後の工学的な安全管理を語る際にも取り上げられる歴史的事例となっている。
糖蜜そのものに人を殺す毒があったのではない。水より重く粘り気の強い液体を、強度の足りない巨大タンクに大量に保管し、危険の兆候を放置した結果だった。
21人の命を奪ったのは、糖蜜の破壊力と、人間による安全管理の失敗だった。


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