「人間は何日間、眠らずにいられるのか?」
ネット上では「何十年も一度も寝ていない人」といった驚くような話を見かけることがあります。
しかし、本人や家族が「寝ていない」と証言することと、研究者が実際に観察して記録を残すことはまったく別です。
では、医学的な観察が行われたケースでは、人間はどこまで眠らずにいられたのでしょうか。
その代表的な記録が、1964年にアメリカの17歳の高校生、ランディ・ガードナー(Randy Gardner)が達成した264時間、約11日間の連続覚醒です。
しかもこれは単なる伝説ではありません。
彼を観察した研究者によって医学論文まで発表され、その間に起こった身体や精神の変化が記録されています。
※長期間の睡眠不足は事故や健康障害につながる危険な行為です。現在、ギネス世界記録もこの記録への挑戦を受け付けていません。
17歳の高校生が始めた「眠らない実験」

1963年12月、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴに住んでいた17歳の高校生ランディ・ガードナーは、友人たちとある実験を始めました。
テーマは非常に単純です。
「人間はどれだけ長く起きていられるのか」
当初は高校生による科学プロジェクトでしたが、挑戦が知られるようになると、睡眠研究者も関わるようになります。
その一人が、後に睡眠医学の世界で著名になるスタンフォード大学の研究者ウィリアム・C・デメント(William C. Dement)でした。
さらに米海軍Medical Neuropsychiatric Research Unitの医師John J. Rossもガードナーを診察し、その神経学的変化を記録しています。
ガードナーは覚醒を続け、最終的に1964年1月8日、
264時間(約11日間)
に到達しました。
当時の世界記録を更新する数字でした。
この症例についてRossは1965年に『Archives of Neurology』へ論文を発表。
さらに1966年にはDementらが精神状態と脳波(EEG)について『Archives of General Psychiatry』に報告しています。
つまりガードナーの11日間は、「本人がそう言っている」というだけではなく、医学研究者による観察結果が論文として残っている、非常によく記録された長期睡眠剥奪例なのです。
眠らない日が続くと何が起きたのか
では、11日間眠らずにいる間、ガードナーには何が起こったのでしょうか。
医学論文に記録された変化を見ると、単に「眠くなる」だけでは済まなかったことが分かります。
4日目ごろには記憶や集中力に異常
Rossの報告によると、4日目になるとガードナーには、
- イライラして非協力的になる
- 記憶が抜ける
- 集中することが難しくなる
- 頭を締め付けられるような感覚
- 街灯の周囲に霧が見える
といった変化が現れました。
さらに午前3時ごろには、道路標識を人間と見間違えるという錯覚も経験しています。
別の場面では、自分を有名なアメリカンフットボール選手だと思い込むような一時的な混乱も記録されました。
睡眠不足が数日続いただけで、知覚や思考にも影響が出始めていたのです。
5日目には夢のような光景を見る
5日目には、起きているにもかかわらず、
「静かな森の中を通る小道」
「庭にある植物」
など、夢のような光景を一時的に見る状態も報告されています。
これは単純な眠気というより、覚醒と睡眠の境界が不安定になっていたことをうかがわせます。
6日目以降は運動や言葉にも影響
6日目には、
- 運動失調
- 手で触った物を認識する能力の軽い異常
- 言葉がうまく出てこない状態
などが確認されました。
その後も軽いイライラ、記憶の抜け、集中力の低下などが続いています。
医学的な診察では、目の動きや発話などにも変化が認められました。
つまり、ガードナーは11日間を通して普通の状態だったわけではありません。
覚醒時間が長くなるにつれて、認知、知覚、記憶、運動などさまざまな機能に異常が現れていたのです。
それでも11日目まで会話やゲームはできた
一方、この実験には意外な側面もあります。
ガードナーは深刻な睡眠不足に陥っていたにもかかわらず、ずっと何もできない状態になったわけではありませんでした。
デメントはガードナーが眠らないように、一緒にバスケットボールをしたり、ピンボールをしたりしています。
ガードナー本人も後年、肉体面より精神面のほうがつらかったと振り返っています。
11日目には特にイライラが強くなり、同じ質問を繰り返す記者たちに腹を立てていたそうです。
これは睡眠不足の影響が単純に一直線で悪化するわけではないことも示しています。
時間帯や刺激などによって一時的に覚醒度が上がり、比較的しっかり活動できる時間もあったと考えられます。
11日ぶりに眠ったら何時間眠った?
264時間に到達したあと、ガードナーは海軍病院へ移動しました。
そしてようやく眠ることを許されます。
11日間眠っていなかったのだから、丸一日以上眠り続けても不思議ではないように思えます。
ところが実際の最初の回復睡眠は、
約14時間40分
でした。
11日分の睡眠をそのまま取り戻すような眠り方ではなかったのです。
その後の研究報告では、回復睡眠中にREM睡眠が大きく増加したことなどが確認されています。
睡眠不足になったからといって、失った睡眠時間を1時間につき1時間という形ですべて「返済」するわけではないことが分かります。
「11日間まったく一瞬も寝なかった」と証明されたわけではない

ここには重要な注意点があります。
ガードナーの記録は科学的に非常によく記録された長期覚醒例ですが、
264時間すべてを現代の睡眠研究のように脳波で連続監視していたわけではありません。
人間は強烈な睡眠不足になると、本人が気付かないほど短時間だけ睡眠状態に入る「マイクロスリープ」を起こすことがあります。
数秒程度しか続かないこともあり、外から見ているだけでは見逃す可能性があります。
そのため、
「264時間、一秒たりとも脳が睡眠状態に入らなかった」
とまで証明された記録ではありません。
より正確には、
研究者らの観察下で約264時間にわたって覚醒を維持した、非常によく記録された症例
と考えるのが適切でしょう。
この違いは、長期間の「不眠記録」を考えるうえで非常に重要です。
実はギネス記録には「18日21時間」も存在する
さらに驚くことに、ガードナーの11日間は最終的なギネス世界記録ではありません。
その後も記録は更新されました。
ギネス世界記録によると、1986年にはアメリカのRobert McDonaldが、
453時間40分
つまり、
18日21時間40分
眠らずに過ごしたとして記録されています。
これはガードナーより約8日も長い数字です。
McDonaldはロッキングチェア・マラソンとして挑戦し、終盤には食事を維持することが難しくなり、体重減少や記憶の問題も訴えていました。
ただし、ここで「ではMcDonaldのほうが科学的にも11日間より確実なのか」というと、そう単純ではありません。
ガードナーの場合は研究者が参加し、その結果について複数の医学論文が残されています。
一方、McDonaldの記録は正式なギネス記録ではあるものの、ガードナーの症例のように詳細な医学研究として知られている記録ではありません。
そのため、
ギネス上では約18日21時間
科学的資料が特に充実している代表例は約11日間
という違いがあります。
ギネスは「最長不眠記録」を廃止した
現在、この世界記録を更新することはできません。
ギネス世界記録は1997年に「最も長く眠らなかった時間」の記録を追跡することをやめました。
理由の一つが、睡眠剥奪そのものが危険だからです。
さらに、マイクロスリープの存在によって「本当に一度も眠っていないのか」を厳密に判断することも簡単ではありません。
そのためRobert McDonaldの453時間40分は、カテゴリーが終了した時点で残っていた記録となっています。
ギネス自身も現在、このような危険な挑戦を推奨していません。
では「61年間一度も寝ていない男性」は?
ここまで来ると、さらに桁違いの話があります。
ベトナムには、何十年にもわたって眠っていないとされる男性、タイ・ゴック(Thái Ngọc)さんがいます。
本人だけでなく家族なども、夜中にも活動していて普通の人のように眠る姿を見ないと証言しており、海外メディアでもたびたび取り上げられてきました。
最近ではYouTubeなどでも「60年以上一度も寝ていない男性」として紹介されています(※61年間というのは動画での2023時点になります)。
しかし、ガードナーのケースとは決定的な違いがあります。
数十年間にわたり睡眠が完全にゼロだったことを、脳波などによって医学的に確認した記録ではありません。
本人が「眠っていない」と認識していても、ごく短い睡眠や非常に浅い睡眠、本人が自覚していないマイクロスリープなどが発生している可能性があります。
したがって、
「何十年も普通の睡眠を取っていないと本人や周囲が証言している」
ことと、
「何十年間も脳が一度も睡眠状態になっていない」
ことは分けて考える必要があります。
人間の「不眠記録」は意外と判定が難しい
ランディ・ガードナーの実験から60年以上が経過しましたが、「人間が完全に睡眠ゼロでいられる限界」が何日なのかは、実は明確には分かっていません。
限界を調べるために人間を危険な状態まで眠らせない実験を行うことには、当然ながら倫理上の問題があります。
さらに極端な睡眠不足になるほど、数秒程度のマイクロスリープが紛れ込む可能性も高くなります。
つまり「眠らなかった時間」を長くすればするほど、逆に「本当に一瞬も眠っていないこと」を証明するのが難しくなるのです。
それでも1964年のランディ・ガードナーの264時間は、研究者によって詳細に観察され、その結果が医学論文として残された非常に珍しい記録です。
そしてその記録から分かるのは、人間が想像以上に長く覚醒できるということだけではありません。
わずか数日の睡眠不足でも、記憶、集中力、知覚、感情、運動能力などに次々と異常が現れるということです。
「何日まで寝ずにいられるのか」という疑問に対する答えは、単純な数字だけではありません。
人間は11日間という極端な覚醒状態を経験した例がある。しかし、そのはるか手前から脳は正常ではなくなっていく。
ランディ・ガードナーの記録が現在でも睡眠研究の有名な事例として語られる理由は、そこにあるのかもしれません。


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